
【スピーカー】
飯島隼人(いいじま・はやと)
福島県いわき市出身。横浜国立大学を卒業後、2014年に株式会社ベクトルに入社後、子会社の株式会社アンティルに出向。2023年度、株式会社アンティルの執行役員に就任。グループのスタートアップ投資や新規事業領域にも携わる。ロケットスターのサーチファンドのプログラムに参画し、2024年に株式会社アポロを立ち上げ。2025年1月、株式会社アングルクリエイト代表取締役に就任。
【インタビューアー】
荻原猛(おぎわら・たけし)
株式会社ロケットスター代表取締役社長 CEO。中央大学大学院戦略経営研究科修了。経営修士マーケティング専攻。 大学卒業後、起業するも失敗。しかし起業中にインターネットの魅力に気付き、2000年に株式会社オプトに入社。2006年に広告部門の執行役員に就任。2009年にソウルドアウト株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2017年7月に東証マザーズ上場、2019年3月に東証一部上場。2022年3月に博報堂DYホールディングスによるTOBにて100%子会社化。博報堂グループにて1年間のPMIを経てソウルドアウト取締役を退任。2023年4月に株式会社ロケットスターを設立し、代表取締役社長 CEOに就任。50歳で3度目の起業となる。
新卒でベクトルに入社後、グループ会社アンティルでBtoB企業のPR戦略やブランディングを手がけ、執行役員として組織を牽引した飯島氏。
順風満帆のキャリアを経ても、なお「コンフォートゾーンに留まらず挑戦したい」との想いから、ロケットスターの“挑戦する人を支える”理念に共鳴し、安定を手放してサーチャーとしての人生を歩み始めました。
現在は事業承継を通じてメディア事業などを展開し、「挑戦者が挑戦者を生む社会」を目指しています。飯島氏のこれまでの歩みと、すでに事業継承により経営を統括するサーチャーとしての目標を伺いました。
順風満帆のキャリアから1歩外へ。居心地のよさを捨てても挑戦を選んだ理由
荻原:まずは自己紹介をお願いします。
飯島:もともと株式会社ベクトルに新卒で入り、グループ会社のアンティルでスタートアップから大企業まで幅広く企業のPRやブランディング戦略を担当していました。営業組織のマネジメントも任され、2023年度には執行役員に。安定していたし、やりがいもあった。でも、どこかで“このままじゃ終われない”という焦りが常にありました。
居心地の良い環境に甘えてはいけないと自分に対して感じていたんです。だからこそ、サーチファンドという「第三の選択」に惹かれました。
僕は挑戦をしていない状態がいちばん怖いと感じるのですが、それは、ベクトル時代にラクスルさんのIPOを支援したときの経験から来ていると思います。
ラクスルのCEOだった松本さんは、PRを支援している僕の立場からみて、とても起業家として才能に恵まれているように思えました。それにも関わらず、時間も体力もたくさん投下して働かれているように思いました。自分よりも何倍も優秀な方が、全力で挑戦している姿を見て、“自分も逃げていられないな”と思ったんです。安全な場所にとどまる自分が嫌になったと言いますか。「自分も挑戦する側に回らなきゃ」と強く思うようになりました。
アンティル時代は、順風満帆で居心地がよく、仲間もいて、やることもたくさんありました。そのため、次のステップに踏み出すのは正直、怖かったです。
だけど、このままではこれ以上成長できないかもしれないと感じていたので、コンフォートゾーンに留まる安心感よりも、そこから出て得られる不安定さのほうに、価値があると考えました。
1人で戦う起業ではなく、チームで挑む経営。試行錯誤を経てたどり着いたサーチャーとして “得意領域で勝負”する覚悟

荻原:次のステップとして、転職や起業ではなく、サーチャーという道を選んだのはどうしてですか?
飯島:起業にも興味はありましたが、アセットゼロで始めるのは違うと感じていたんです。起業だとゼロから挑戦することで2〜3年、自分の強みではないことをしなければならない時間もありますよね。それはもどかしいなと感じました。
サーチファンドの座組を活用した承継起業であれば、自分の強みを最大限に活かして経営ができると思ったんです。ロケットスターとの出会いは、正直、衝撃でした。ファンドと聞くと冷たいイメージを持つ人もいるかもしれませんが、ロケットスターはまったく違ったんです。構想段階から一緒に考え、サーチ段階でも、買収後のPMIでも並走してくれます。「1人で戦う起業」ではなく、「チームで挑む経営」だと感じました。
居心地の良い環境を離れる決断ができたのは、ロケットスターが背中を押してくれたからです。
荻原: サーチの過程では、かなり試行錯誤されたと思いますが、どのように進められたのでしょうか。
飯島: 最初は地方メディアを検討していました。でも、地域密着の強い産業なので、外から入るのは難しいとわかったんです。そこで、次はスポーツチームにも挑戦しました。でも、これもハードルが高かったですね。
そこから「自分が勝てる市場はどこか」を考え直しました。最終的に自分が十数年やってきた強みが活きる領域として、BtoBマーケティング領域に絞りました。自分の得意分野をベースにするのがサーチの鍵だと思います。
サーチャーって、つい“全部挑戦したくなる”んです。でも、M&Aも会社経営もPMIも、それ自体が全部挑戦ですから、さらに未知のドメインまで足すと、リスクが一気に膨らんでしまいます。だからこそ、得意領域で勝負するのがいいと思います。これは、これからサーチする人たちにも伝えたいですね。
挑戦者が挑戦者を生む社会に寄与。逃げずに矢面に立ち、「リーダーを育てるリーダー」でありたい
荻原:サーチャーとしてすでにM&Aを体験され、すでに経営の現場に立っていらっしゃいますが、経営を始めてから一番大切にしている考え方は何ですか?
飯島: 「リーダーを育てるリーダーであること」という考え方を大切にしています。 自分が一番やるのは当然ですが、自分ひとりが頑張るだけでは、組織は広がりません。僕は“リーダーを育てた数が、リーダーとしての質を決める”と思っています。そうやって生まれたリーダーが、自分よりも先に行ってくれたら最高です。
そのためには、自分より優秀な人、自分とは違う価値観を持つ人を集めて、“自分が想像できない結果を生むチーム”を作りたいですね。そう思えるようになったのは、ロケットスターに入って多様な人に出会えたからです。
ロケットスターに出会う前までは、僕自身、まさか自分がこのような立場にいるとは思っていませんでした。こうして非常に素晴らしい挑戦ができて、嬉しいです。
それから「逃げない」ことも大切にしています。とくに事業承継というのは信頼で成り立つものです。だから、どんな状況でも矢面に立つ姿勢を見せることが重要だと考えています。僕が経営を任せてもらえたのは、過去に逃げずに問題を解決してきたからだと思います。
荻原: 事業継承後、現在はどのようなことをされていますか?
飯島: 株式会社アングルクリエイトでは、メディア事業を展開しています。アングルクリエイトでは、2025年に『Business Journal』というメディアを事業承継し、再スタートを切りました。今は、スタートアップ・AI・カーボンクレジット・地方創生など、未来をつくるテーマを扱う専門メディアを複数展開しています。挑戦者の声を可視化し、次の挑戦者を生み出すようなメディアにしたいです。
僕自身もロケットスターに支えられてここまで来たので、今度は自分が支える側になりたいです。挑戦者が挑戦者を生む、そんな“挑戦の生態系”を広げていきたいんです。「挑戦する人を仕組みで支える」、それがロケットスターの存在意義だと思います。
