サーチャーたちの物語vol. 3 ~赤字企業6社を黒字化へ導いた経営再建のプロフェッショナル。「企業は人なり」を信念に、岩本眞二氏がサーチファンドで志す事業継承のかたち~

【スピーカー】
岩本眞二(いわもと・しんじ)
1985年にニチメン(現・双日)へ入社し、電子情報本部にてカーエレクトロニクスの輸出業務を担当。米国3大自動車メーカーを主な取引先として経験を積む。1997年には社内ベンチャーとしてEC事業を手がけるニチメンメディアを立ち上げ、2004年にスタイライフ(現・楽天ファッション)としてニチメンから独立。2006年には大阪証券取引所ヘラクレス市場への上場を果たす。その後は企業再建を担うプロフェッショナルとして、株式会社ハイマックス(現・豆腐の盛田屋)、株式会社AXES、株式会社エンジェリーベで代表取締役を歴任。2016年にマルコ株式会社の取締役に就任し、翌2017年には代表取締役社長に就任。2018年には持株会社体制への移行に伴い、MRKホールディングス株式会社を設立し、同社代表取締役社長に就任。2025年4月より、マルコ株式会社の代表取締役会長を務め、同年6月に退任。
【インタビューアー】
荻原猛(おぎわら・たけし)
株式会社ロケットスター代表取締役社長 CEO。中央大学大学院戦略経営研究科修了。経営修士マーケティング専攻。 大学卒業後、起業するも失敗。しかし起業中にインターネットの魅力に気付き、2000年に株式会社オプトに入社。2006年に広告部門の執行役員に就任。2009年にソウルドアウト株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2017年7月に東証マザーズ上場、2019年3月に東証一部上場。2022年3月に博報堂DYホールディングスによるTOBにて100%子会社化。博報堂グループにて1年間のPMIを経てソウルドアウト取締役を退任。2023年4月に株式会社ロケットスターを設立し、代表取締役社長 CEOに就任。50歳で3度目の起業となる。
商社マンとしてキャリアをスタートし、社内ベンチャーからEC事業を立ち上げ、上場企業の代表として数々の企業再建を成し遂げてきた岩本眞二氏。
一貫して「人を動かす経営」を実践し、6社すべてで黒字化を果たしたその根底には、「企業は人なり」という信念があります。
複数の企業再建を手がけてきた岩本氏が、次に選んだキャリアはサーチャー。その背景には、何度倒れても立ち上がってきたリーダーとしての覚悟と情熱があります。
今回は、岩本氏にこれまで経営者人生の裏側と、ロケットスターとともに描く事業承継への想いや目標をインタビューしました。
■学生起業から6社の代表へ。「10年早い」と言われ続けた若手時代も諦めず、ベンチャーも上場企業も再建

荻原:まずは自己紹介をお願いします。
岩本:これまで6社で代表を務めてきました。幼いころからリーダー気質で小学校の頃から生徒会長をしていました。
大学に入ってすぐに起業してビジネスにのめり込み、成功も失敗もたくさん経験しました。
その結果「やはり大きな資本の下で一度勉強してから、また起業しよう」と考え、商社に入社しました。
当時はとにかくビジネスがやりたくて仕方なかった。次々とアイデアが浮かんでも毎回却下。その後「10年早い」と言われ、そこで「じゃあ10年は我慢しよう」と決めて、その間に作戦を練り続けました。そして、11年目の4月1日に、社長宛てに事業提案を出したんです。当時はメールもなく、社内郵便で送りました。
その時期、社長がちょうど「これからは若手の意見を取り入れろ」と言っていたときだったんです。「今だ」と思いました。
荻原:すごい行動力です。社長宛てに事業提案を出した結果は、どうでしたか?
結果として社長まで提案が届き、そのまま案の定やらせて頂ける事になりました。
10年間、じっくり戦略を練って、虎視眈々と準備してきました。だから私は、社長の耳にさえ入れば、絶対やらせてくれる、という計算があったんです。
その企画は、七転八倒しましたが、成功しました。

荻原:商社にいた10年の中で、社内ベンチャー立ち上げなどもされていますよね。
岩本:はい。1997年に社内ベンチャーとしてEC事業を手がけるニチメンメディアを立ち上げ、2004年にスタイライフ(現・楽天ファッション)として独立しました。
商社勤務でしたが、私は繊維業界のことは全く知らなかったんです。だから、当時はメディアでも「インターネットでアパレルを売ろうとしてるバカがいる」「アパレルを知らない素人が何をやるんだ」とボロクソに言われてしまいました。
でも、それは仕方がないことかもしれません。ドコモのiモードがまだ白黒の時代で画質も悪い。質感なんて伝わりませんでしたから。でも、私たちはそこで服を売ったんです。そして、売れたんです。
そこから上場まで持っていったのですが、あのときは本当にしんどかった。毎日が危機の連続でした。資金が行き詰まるんですよ。
商社が最初に1億円だけ出してくれていました。足りなくなったら銀行で融資を受けようと考えていたのですが、全然融資が下りない。顔が真っ青になりましたね。銀行名も、担当者も、鮮明に覚えています。
結局、VCに頼る事になりました。そうすると、みなさんが出資してくれて、4億8000万円も集まったんです。2億円あれば十分と思ってたのに、倍以上です。
そこから上場まではスムーズでした。
荻原:これまで6社の代表を経験されていますが、経営のスタイルや会社の動かし方は違いましたか?
岩本: いろいろ違いはありますが、結局は「すべては人」なんです。「企業は人なり」、この言葉が全てだと思っています。人がちゃんと動いてくれたら、会社はうまくいくんですよね。その鍵はモチベーションです。
どうやってモチベーションを上げるか、それを6社すべてで徹底してきました。最後に代表を務めたマルコという会社は、本社ビルを売らなきゃいけないほどの大危機でしたね。だから、マルコでは1年足らずで増資しました。「お金を調達するには、みんなの力が必要だから、力を貸してくれ」と社員にお願いしました。
「マルコの将来がかかっている。今月は何としてもいい数字を出そう」と全員に伝えました。そうすると、結果本当にいい数字が出て、資金調達も62億円ほどできたんです。人とモチベーションが好業績を生み出すのです。
■ 6社の黒字化実績を強みにサーチファンドで人生の集大成を描く

荻原:では、次のキャリアとして転職や起業ではなく、サーチャーという道を選んばれたのはなぜでしょうか。
岩本:年齢的にベンチャーをゼロから立ち上げるのは少ししんどいなと思っていたんです。小さな会社ならできなくはありませんが、サーチャーという形で既にある会社を継承できるという点に惹かれました。
何より、今までのキャリアにおいては、PEファンドなどから声をかけて頂き「この赤字の会社を立て直せるか?」と相談されることが多く、自分が立て直せそうであれば行くという形をとってきました。でもサーチャーは自分から「この会社をやりたい」と選ぶことができます。
今回は自分の人生で最後の挑戦になると思っているので、絶対に失敗したくない。それに自分から選んだからこそ、自信を持って「いける」と言えますね。
荻原:今の年齢で挑戦することについては、どう受け止めていますか?
岩本:私は多分、一番年齢が上なので、遅い挑戦かもしれないとは思いますね。
体力的にはまだ元気で、ゴルフでも上位に入るくらいです。エネルギーは十分あります。
でも年齢の問題というより「人生は本当に何があるかわからない」と感じます。もし同世代で挑戦したいという方々がいたら、挑戦してほしいと思いますね。70代、80代でも元気な人はたくさんいるし、逆に70歳でボロボロの人もいます。私は年齢ではなく、意志の問題だと思っています。
荻原:岩本さんの経営哲学について教えてください。
岩本:私の経営哲学は「企業は人なり」ですね。経営とは、人・物・金だと言われますが、人がいれば物も金も集まるんです。結局は人なんです。だから、人を大切にした経営を行ってきました。
なかでも部下との距離が近いのは、私の経営スタイルの特徴ですね。いろんな現場を経験してきましたが、どこにいても「すごく距離の近い社長だ」と言われてきました。
その分、なめられやすい面もありますが、怒るときは本気で怒ります。怒ったのは、どの会社でも年に1〜2回でしたが。
以前、全然言うことを聞かないヤンチャな社員が多かった会社にいたときは、最初は怖い人を演じましたね。「この人、やばい」と思わせるようにしたんです。でも、黒字転換したタイミングでガラッと態度を変えました。社員たちは「え、こんな人だったの?」と驚いていましたが、必要なときには自分の性格を抑えてでも演じなければならないと思いますね。
■少子化時代の事業承継を変える。ロケットスターとともにサーチャーとして目指す新たな経営モデル

荻原:サーチファンドは事業承継という社会課題に挑む仕組みでもありますが、その点については、どう思いますか?
岩本:事業承継は本当に今の日本にとって大きな課題ですね。私の商社時代の同期の会社も結局、後継者がいないままになっているところも多いんですよ。この状況を見て、改めて「これは社会の構造的な問題だ」と感じました。これから少子化が進む中で、こういう話はますます増えると思います。
だからこそ、ロケットスターが成功して、後継者問題に対して新しい仕組みやムーブメントを作る必要があると思います。これは本当に重要なことです。
それは荻原さんの役割でもありますし、私もその中のひとつの成功事例として皆さんに見せたいと思っています。投資家たちに「プロの経営者が入れば会社は良くなるんだ」と示していくことが大切です。そうすることで、サーチャーとして経営を志す人たちも集まってくる、そういう流れを作りたいですね。
荻原:では、M&A知識との向き合い方についてはどうでしょうか。M&Aには幅広い知識が必要ですが、どのように向き合えばよいでしょうか。
岩本:私自身は、M&Aはこれまで累計で8社ほど経験してきました。
でも今回特に勉強になったのは、ロケットスターがものすごく緻密に取り組んでいる点です。外部のブレーンを入れて、細部まで詰めて「そこまでやるか」というレベルです。それは本当に立派なことだと思います。
それに、私はこれまで事業会社としてM&Aをしてきたので、どうしてもシナジーを重視します。でもファンドはIRR(内部収益率)などリターンを最優先に考えるんですよね。そこが全然違うんです。だから、ファイナンス系の方々の考え方を学ぶことは本当に勉強になりました。
荻原:ダイレクトソーシングなどの活動において、大変だったことや工夫したことは何でしょうか。
岩本:ダイレクトソーシングの段階では、本当にいろんな会社が出てきました。でも規模が大きすぎたり、IRRが合わなかったり、条件が合わないことが多かったですね。
アセットが大きすぎる会社を買うと、資産を買う形になってしまうから、うちのファンドには向かないという判断になる。なのでアセットを買うというよりも「フローを買う」という発想が必要でした。そのあたりは苦労しましたね。
荻原:この人に承継してほしいと思ってもらえる理由は何だと思いますか?
岩本:自分の事だから言い難いですが「プロ経営者と言われている私がやるから大丈夫ですよ」とお伝えしています。実績を見ていただいて安心してくださるのではないでしょうか。
前職は上場企業なので私の9年間の経営成績は全部公表されています。ずっと右肩上がりでやってきてきました。私はリストラや人員カットを一度もしていません。人を切ると売上は必ず落ちますから。
私が黒字化のためにやったのは、人員カットではなく新規事業です。つまり、人は切らず、そこに異動させた。マルコでは、新規事業を3つ立ち上げました。残念ながら在任中10億円は超えなかったけど、どれも8〜9億円までいきましたね。新規事業3つで計26億円ほどでした。
余剰人員を新規事業に回したということです。給料を全部削るのではなく、その人たちが人件費の半分でも稼げば赤字が減るんです。そういう事を、どの会社でもやってきました。
荻原:承継後、どんな経営を実現したいですか?
岩本:やはり、ファンドにリターンを返すためにも、私が継承前よりもバリューアップすることは必須です。
私は「企業価値の向上こそ社長の最大のミッション」だと思って、ずっと経営をしてきました。サーチファンドの理念は自分の考えと通じるもので、自分が稼いだお金を自分の事業にもう1度投資したいと考えたときにぴったりでした。
確実に、企業価値を向上する経営をしていきます。